忌むべき者達に告ぐ


「……通り魔事件の容疑者……?」

 戸惑いの声が屋敷の一室に小さく響く。イタリアの田舎、とある地域を治めている一族……ヴィンチェンツォ伯爵家においてその会話が交わされたのは、ある寒い日の夕暮だった。部屋にいるのは三名の男。テーブルを挟んでソファで相対している若者のうち、特徴的な赤い目を持つ男性が、対する青年に恐る恐る問いかける。

「私がですか……?」
「率直に申し上げれば、そうなります」

 毅然とした態度でもって返された言葉に、赤目の男性は困ったように口籠る。言いたいことはあるが、しかしそれを上手く伝える言葉が丸で浮かばないのだと言いたげに。そんな男性の反応を気にかけることなく、落ち着いた色の制服を纏う青年は、慣れたように決まり文句を口にする。

「失礼ですが、先程までのお話を伺った限りでは、ジャック様には犯行時刻に別の場所にいたということを証明できるものが全くございません」
「はぁ……まあ、そうでしょうけれども……」

 歯切れが悪いが渋々といった体で、赤目の彼……ジャック・ヴィンチェンツォが受け入れたのを、青年も、そしてソファに腰掛けることなく傍らに佇む壮年の男も、無言のままで眺めていた。

 最近起きている通り魔事件──それも猟奇的且つ連続で起きているそれは、この国の人間であれば誰しもが知っている大事件だ。その聞き取り調査ともなれば、重要度は格段に上がる。……それが警察で密かに絞った容疑者へに対するものであれば尚更だった。

 ジャック・ヴィンチェンツォ。伯爵家の現当主であるオズベルト・ヴィンチェンツォとは容姿こそ非常に似ているが、双子の兄である彼は、貴族らしさが余りないことでのみ有名な若者だった。社交的な部分に欠け、常に部屋へと籠りがちであり、屋敷の使用人ですら中々姿を見かけることはないという。あくまでそれは噂であったが、先程までの質問に対するジャックの返答はその噂が事実であることを裏打ちするようなものばかり。当然、一人自室に籠っている彼の潔白を証明出来る者などいるはずもなかった。

「ご安心下さい。あくまで可能性の話ですから」

 淡々とそう告げつつも同伴した刑事に目配せをした青年の動作にジャックの方が気付いているのかいないのか。「……そうですか……」と返した彼は、ちらと年配の刑事を見遣る。そのことに対し、若い刑事は唇をぐっと引き結ぶ。

 聞き取り調査では、質問は主に若い方が行う決まりだ。口を開くのは専ら青年の方であり、長年捜査に携わっている壮年の男性は先程から延々と無言を貫いているばかり。だが、無論彼が何もしていないというわけではない。口を挟むことをしないのは、意識をジャックの方へと集中させているからだった。少しでも不審な反応を見逃すことのないようにと全神経を注ぐ壮年の男性に対し、ジャックの方でもさすがに思うところがあったのだろう。僅かに眉根を寄せたのは、不快なのか、不安からか。

「……それにしては……」

 ぽつりと呟きかけたジャックの声も、青年が聞き逃すことはない。

「何です?」
「……いえ」

 何事かを述べようとして、けれども結局黙ってしまう。それきり文句の一つすらも口にしようとはしないジャックに、安堵が半分、落胆半分というのが青年の正直な感想だった。これでいくらか感情を引き出せたのであれば、そこから崩していくことも或いは可能であっただろう。だがしかし、黙り込まれてしまっては、青年から再び仕掛けていくより他はない。これは骨が折れるな、と、余り意志のはっきりしないジャックという男を前に、青年は内心肩を落とした。……同時、否定したきりすっかり黙り込んでしまう辺りが、彼の双子の弟であるオズベルトとの差なのだろう。と、青年は密かに感じてもいた。

 この屋敷を訪れた際に遣り取りを交わしたジャックの双子の弟……オズベルト・ヴィンチェンツォ伯爵は、こう言っては失礼だろうが、ジャックとは異なり、中々に手強い相手だった。少しでも隙を見せたなら鮮やかな言葉で追い返されていただろう。辛うじてそうならなかったのは、経験を重ねた隣の男性が共にいたからに他ならない。

 ──ただ。

『兄に事情を聞いたところで、無意味だとは思いますがね』

 兄であるジャックを呼び出す前。綺麗な微笑を湛えながらも、肩越しに彼ら二人を見据えた、威圧するような緑の瞳が蘇り、思わず身体を震わせる。今目の前にしているジャックとは面立ちだけは極めて似ているにも関わらず、いかにも貴族、それも当主を任される者の威厳が、あのときのオズベルトにはあった。確固たる自信に満ちた言動から漂う威厳に、トップの地位に立っているのがオズベルトの方であるのも得心がいくと思うのと同時、その地位から順番的に外された──失礼を承知で述べるのであれば、オズベルトよりも劣っていると判断された可能性が極めて高い──ジャックに対し、犯人である可能性を感じているのもまた事実だ。何らかの不満やストレスを抱え、それがあのような重大事件を引き起こす。……全く有り得ない話ではない。

「……それで、何故私が……?」

 控えめに尋ねてくるジャックにはっと我に返り、青年は咳払いをした。いくらオズベルトよりも頼りなさ気に見えるとはいえ、相手は重大事件の容疑者なのだ。油断して良いはずもなかった。

「被害者が亡くなる間際に文字を書き残していました」

 今まで何度も口にしている情報なので記憶しているのは確かだが、敢えて手帳を取り出して記した情報を読み上げる。

「J、A、C、K……つまりジャックという名前をです」

 残念ながらフルネームではなかったが、それでも情報としては皆無であるより余程良い。少なくとも人名であったという点では、犯人を導き出す上で非常に有力な手がかりだった。

「ここから我々はこの名前を持つ人物に容疑者を絞り……、」

 手帳へと視線を落としていた青年は、ふと視界の端に映っているジャックが顔を伏せていることに気が付いた。それも、微かに身体が震えている。思わず相方と顔を見合わせたのは、取り調べ中に精神に異常をきたす者もそう珍しくはないからだ。何かあるのかもしれない。そう気を引き締めつつも、慎重に青年が唇を開く。

「……ジャック様?」
「……く、」

 喉を鳴らすような声がジャックの方から漏れたと思えば、次の瞬間、室内には盛大な笑い声が響き渡った。いかにも可笑しいと言わんばかりに聞こえるそれは、聞く者を萎縮させるような吠えるような強さを纏い、同時に何処か嘲りの色を滲ませ、響く。そんな声音を放つ者など、この場においては一人きりだ。……が、生憎と刑事である両名は、しばらくの間、その事実を理解することが出来なかった。当然だろう。先程までの頼りなさばかりが目立つ、伯爵家の血を継ぐ者の態度としては余りそぐわないような、威厳に欠けている風の大人しげなあの青年とは、似ても似つかない態度を示されたのだから。

 一頻り笑い飛ばした後に、彼は悠々と長い脚を組み替えながら、くしゃりと前髪に手を遣った。そうして額に垂れていたそれを横に流すと、再び彼らに向き直る。そこに浮かべられた笑みは──何故だろう。先程までとは全くの別人のものに思えた。青年を見据える赤色は先程までと同色だ。……間違いなく、そうであるにも関わらず、打って変わって威圧するような威厳と鋭さを格段に増した眼差しに、青年は思わず息を飲む。これはまるで彼の弟……オズベルトと何も変わらない。どういうことだと混乱する彼の前で、ふ、とジャックの唇が弧を描く。

「──これは失敬。余りにも理由が理由だったので」

 馬鹿にしている。──そう若い刑事が感じるのも無理はなかった。事実、未だ口角を上げている顔にはいかにもな嘲笑が浮かんでおり、楽しげに彼らを見据えているのだ。軽い謝罪は述べられたが、それにしても酷く無礼だ。……青年は一瞬憮然とした表情を浮かべたが、それでも必死に様々な感情を推し込めると、毅然とした態度でもって若い貴族に向き直る。

「被害者の指には文字を書いたものと同じ血液が付着していました。つまりこれらは自らの意思でもって書いた……いわゆるダイイング・メッセージと受け取るのが妥当です」
「それはそれは」

 姿勢を正し、明瞭な声で告げる刑事の言い分など何のその。頬杖を突きつつ斜に構えた視線でもって青年を見詰めているジャックの方に、余裕が崩れる兆候はなく。

「皆様もさぞお疲れのことでしょう……ジャックなどという名前、この国ではそう珍しくはないのですから」

 字面には辛うじて労わるような雰囲気があるが、実際はいかにも他人事といった風な調子で軽く紡がれた。暗に自分以外にも該当者は多くいると二人に告げているのだろう。ジャックの込めた──最初から隠そうともしていないだろう──本心は、二人もきちんと理解していた。想定内だ。この程度の理由であれば、確かに納得しないのも当然だとは彼らも思う。……生憎と、笑い飛ばされる程のものではないという自負もあり、また連続殺人事件の捜査に関する態度としてはやはり不謹慎だろうということもあり、幾らか気分は害しもしたが。

「もう一つ理由があります」

 こちらが本命だと内心で青年が告げたのを、ジャックの方でも察したのだろう。血液を彷彿とさせるような一対の鮮やかな赤色が向けられ、青年は一度唾を飲む。だがここからが正念場なのだ。ジャックの態度は先輩である壮年の刑事が入念に見ている。──少しでも手掛かりになるような反応をジャックが示せばそれで良い。そう、願うような気持ちを持つ程度には、青年の中では既にジャック・ヴィンチェンツォという男に対し、底知れぬ何かを感じていた。

「……被害者の傍には葡萄と思われる物が散乱していました。それも比較的新鮮な」
「ほう? 葡萄」
「複数の被害者の傍で確認がされました。恐らく犯人が所持していた物と思われます」

 余裕を失うことのないジャックに怯んではいられない。飲み込まれまいとする強い意志を瞳に湛え、一層強い口調で告げる。

「殺された被害者はいずれも貧しい娼婦です。とても葡萄のような高価な品物を購入などできません」
「成程」

 納得したかのような発言をするジャックに、彼ら二人は目を向ける。何らかの感情が微量でも浮かんでいれば良い。……そんな期待とは裏腹に、「それでは私が疑われるわけだ」と受け入れた彼は、猫のように瞳を細める。

「私は外出する際には、いつでも葡萄を持ち歩くという酔狂な趣味の男として、お二人の目には映っているようですから」

 穏やかな口調ではあるが、わざとらしい程丁寧な言葉は、明らかに彼らを揶揄している。悠々とした態度のことも踏まえれば、挑発すらもしているようで。

「殺人という極めて危険な行為に及ぶ際にも、当然、葡萄を必ず所持していると──そう受け取られたとしても、全く不思議ではないのでしょう」

 そんな理由では断じてない。と、ジャックの方でも理解していて敢えて口にしているのだろう。全くふざけている……と、文句の一つでも述べようとすれば、まるで見透かしたかのように、ふ、とジャックの口許が歪む。か、と青年の顔へと熱が浮かんだのは、ジャックの挑発に乗る寸前だったからに他ならない。

「他には?」

 問うてくるジャックに彼は必死で言葉を探す。……理由ならば他に幾つでもあった。例えば、被害者に残る傷口が余りにも綺麗で、医者かそれに類するような職業の者が疑われる。被害者にはあまり警戒した様子がないから、ある程度信頼のおける地位にある人物であろう。……浮かんでくるもののうち、ジャックに当て嵌まる内容を彼が告げようとした、瞬間。

「──いいえ」

 先に否定を述べたのは、傍らに佇む男性で。先輩にあたる彼の発言に目を見開いた青年は、思わず男性のことを見上げた。ジャックの方へと鋭い眼光を向けていた彼は、ふと青年に視線を落とすと、ほんの僅かに首を左右に振ってみせる。……今日のところは深入りしても無駄だということなのだろうか。冷静で妥当な判断ではあるのだろうが、あたかも自らが無力であると烙印を押されたかのようで、青年は無言で唇を噛む。それきり誰もが口を開くことをしない中、深々とした溜息が室内の静寂を打ち破る。

「……話にならないな」

 独白染みた呟きは、それでも恐らく彼ら二人の耳にまでしっかり届くよう意識されたものなのだろう。ソファを立ち、いかにもといった上品な態度でドアを示すジャックの仕草は、逆に彼らを煽っているかのようなもの。思わず青年がジャックを見れば、完璧とも言えるような笑顔を湛えて唇を開く。

「どうぞ、今夜はお引き取りを」

 丁寧な言動を装っているが、その実、これ以上は無駄だと告げて追い払おうとしているのだろう。同時に、ジャックの方でも、その本心が彼ら二人に筒抜けになっていることを承知の上でやっているのだ。彼らの、特に青年の顔がつい歪んだのを目にした瞬間、不敵なまでに細められた血色の双眸がその何よりの証だった。ぎり、と思わず歯を噛み締めた青年は、それでも相手が貴族だという事実を思えば、それ以上言葉を続けることなど出来はしない。

「……失礼致しました」
「いいえ」

 部屋を出ていく彼らに対し、ジャックは興味を失ったように視線を外す。そこに浮かべられているのは、双子の弟であるオズベルトを彷彿とさせるかのような、余裕と威厳に満ちた笑み。

「私も心を痛めております。余りにも酷い事件ですから」

 まるで芝居だ。──大袈裟な程の調子を湛えて述べられた台詞に、青年が再度唇を噛む。真に同情しているならば、少なからず沈痛そうな面持ちを湛えてみせるものだろう。しかし今のジャックには、誰がどう見ても薄い笑みを浮かべたまま、まるで他人事のように重みの無い音でもってそれらしい言葉をつらつらと重ねているだけだ。腹立たしさに耐え切れず、背を向け歩き出した彼に、後方から言葉が飛ぶ。

「──いずれ警察が真犯人を捕まえて下さる日を楽しみにしておりますよ」

 馬鹿にしたような雰囲気を微かに覚えるような、滔々とした声音が聞こえてつい振り返る。

 そうして目に映ったのは、肩越しにこちらへと視線をくれている男性。

 武器を持っているわけでもない。何かが変わったわけでもない。ただ、血を彷彿とさせるような色合いの双眸を湛え、歪んだ三日月の様に口角を上げて笑う男に、怒りよりもまず先に、ぞっとするような何かを強く覚えたのは、青年の勘違いか、否か。

 隣を見れば同じように複雑な表情を浮かべた壮年の男が立っており、先輩にあたる彼もまた同様の気分に陥ったことを示している。

 一筋縄ではいかない。否、彼に自分達が敵うことなど万が一にも有り得るのか……刑事としてはあるまじき考えが不安を伴い彼らを襲う。どうジャックに返すべきか。台詞が思い浮かばない彼らをやはり見透かしたかのように、ジャックは入口の扉を閉める。……それが永遠に超えられない壁であるかのようで、しばらく呆然とした心地のまま彼らはその場に立ち尽くす。


 ──まるで二人を嘲笑うべく、新たな被害者が生まれたのは、その一週間後のことだった。




こちらは2017/4/21発行の『DOLCE』という、ヒロ様の創作「GhostHouse」シリーズの小説アンソロジー本に提出した作品です。
(※web公開するにあたり、改行等を一部編集しております)
大好きなジャック・ヴィンチェンツォさんを、精一杯愛情を込めて執筆致しました。
本が販売終了となりましたので、ヒロ様より許可を得てこちらに公開致します。
ヒロ様、この度は有難うございました!

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