少女とウサギと肖像画

※ヴィルヘルム様×子供エリーザベト / ほのぼの?

 ヴィルヘルムの別邸にてエリーザベトが暮らすようになり、一年余り。幾度も逢瀬――ただしヴィルヘルムは決して本名を名乗ることなく、セバスチャンの名を騙り、あくまで使いの者を装った上での逢瀬である――を重ねていた。最初こそ、別邸の使用人達に軽んじられていた幼い少女は、それでも持ち前の明るさ故か、はたまた彼女の性情に少なからず惹かれるものがあったのか。今ではそこそこ彼らと安定した関係を築いているのが窺えるようになったと、時折訪れる彼の目にも分かる程の変化に、彼は少女の私室にて、微かに安堵の混じる息を吐き出した。

「セバスチャン」
「……、……何でしょうか」

 考え事をしていたこともあるのだろう、咄嗟に反応が遅れてしまう。あくまで仮の名であるそれは、本来は別人……彼の暮らす屋敷において、彼の傍らで仕事をこなしている男の名なのだ。そこそこの頻度で少女のいるこの別邸に足を運んではいるものの、やはり期間は空く為に、どうにも自分に対する呼びかけとして認識することができなかった。
 それでも少女……エリーザベトは別段気にする様子を見せず、その小さな唇を開く。恐らくは何かを彼に告げようとしたのだろう。空を映したかのような群青の瞳が青年を真っ直ぐに見上げてきたが、彼女が声を発する前に、不意にノックが三度響いた。

「どうぞ」

 少女が振り向き声をかければ、「失礼致します」と、青年の耳に酷く馴染んだ声音が届き、弾かれたように顔を上げる。幾らかは老いを感じさせる穏やかなそれは、しかし、この場では聞こえるはずのないものだ。何故、と、問いかける暇もなく、扉は静かに開かれる。――そこに佇んでいた人物は、やはり、ヴィルヘルムの酷く見知った人物だった。

 いかにも人の好さそうな微笑を湛え、酷く穏やかな物腰である老人は、落ち着いた色合いの衣服を身に纏っている。そのデザインから、使用人であることをすぐに察したのだろう。見覚えのない老人の登場に一つ首を傾げた彼女は、やがてその老人がヴィルヘルムの方を見てにこにこと笑っていることに気付いたらしい。――それが決して人の好さを表すようなものではなく、逆に楽しんでいるときのそれであると見抜いたのは、唯一人、ヴィルヘルムのみであったのだが。

「お知り合いかしら……?」

 彼女が口にした通り、否、単なる知り合いどころの話ではない。……が、それを彼女に告げることはヴィルヘルムには出来なかった。

「初めましてになりますかな?」幼い少女の目線に合わせるように腰を折り、老人は胸元に手を当て、恭しく頭を下げる。「私、ヴィルヘルム様の執事を務めております、セバスチャンと申します」
「セバスチャン……?」

 彼女にとっては聞き覚えのある名だったのだろう。……が、それは決して目の前に立つ老人のものを予め耳にしていた為ではない。予想外の人物の登場に半ば呆然としていたヴィルヘルムは、エリーザベトが目を瞬かせては彼と老人を交互に眺めている理由に気付き、ようやくはっと我に返った。――同じ名前の人物が二人いるということが、幾らか気になったのであろう。知り合いのような反応を彼らが互いにしていたのであるから、尚更。

「ええと、お二人はどういう……?」

 不思議そうに尋ねる彼女の表情には、幾らか困惑が混じっている。が、何と返すべきなのか、未だ動揺が拭えていない頭では上手く思考が纏まらない。ヴェルヘルムが必死に答えを探す中、「おや、ご存知ございませんか」と朗らかに笑みを湛えつつ口を開いたのは、本物のセバスチャンであり。

「何を隠そう、私は……」

 まずい。と、事実を告げられる前に、急いでヴィルヘルムは唇を開いた。――が。

「その者の祖父にございます」

「…………………………は?」

 にこやかな笑顔でもって口にされた大嘘に、思わず言いかけた言葉も忘れ、ヴィルヘルムは完全に素の声を零した。が、幸いなことにエリーザベトにはそれは届かなかったらしい。納得したといわんばかりにぱっと笑顔を浮かべると、胸元の前で手を合わせる。

「まあ! それでお名前が同じなのね!」
「ええ、そういうことですとも」

 いかにも好々爺といった穏やかな微笑を湛えつついけしゃあしゃあと偽りを述べる自身の執事に、一体何がそういうことですなのだと反論したいのは山々だったが、きらきらとした瞳でもって見上げてくる少女に気付けば、一つの文句も飲み込まざるを得なかった。例え相手が少女であれ、一度教えてしまったことをすぐに否定してしまえば、疑念を抱かれることは確実だ。そもそも隠しておく必要性を作っているのはセバスチャンではなくヴィルヘルムの方である。いずれ彼女も彼の正体を知ることにはなるだろう。が、それは今この時ではない。……彼女の様子を建前抜きで窺う為には、この関係の方が遥かに都合が良いのだから。

「………………まあ」

 結局、渋々といった体でぼそりと肯定を返した彼に、何故かエリーザベトは幾度か深く頷いた。単純に納得しただけだろう。そう考えたヴィルヘルムは、残念ながら認識がやや甘かった。

「言われてみれば、確かに……雰囲気が少し似ているわ。二人が御親戚だからなのね」

 両者を交互に眺めて静かに少女が紡いだ言葉に、ヴィルヘルムはびしりと固まった。……彼女は一体何と言ったのだろう? 雰囲気が似ている? 少しとはいえ、一体誰と誰のことを指して述べているのだろうか。……答えは明白ではあったのだが、拒絶したい一心で反応を示さないヴィルヘルムの傍らで、セバスチャンはそう態度には大きく出しはしなかったものの、幾らかは驚いたのだろう。幾度か目を瞬かせると、やがて楽しげに口角を上げた。

「――ホッホ! そうですかそうですか」未だ石化しているヴィルヘルムとは反対に、少女の発言が気に入ったのか、老人はすぐに普段の調子を取り戻し、至極楽しげに笑い出す。「それは大変面白……いえ、とても嬉しい御意見で、私、甚く感激しております。おっと、喜びの余りに涙が……」

 明らかに面白がっているだろうセバスチャンの笑い声が響く中、エリーザベトの無邪気な爆弾発言に茫然としていたヴィルヘルムは、老人が涙を拭っている間にようやく少女が口にした内容を脳が受け入れたらしかった。彼は苦虫を何百匹と噛み潰したかのような表情を浮かべること数秒、認めたくないと言わんばかりに引き結んでいた唇を、ゆっくりと無理矢理開けていく。

「……奥様。失礼ですが、具体的に、私とコイツ………………祖父の何処が似ていると……」
「まあまあ、そう恥かしがらずに」

 肩を叩いて一見フォローを入れたかのようなセバスチャンの発言は、無論この状況を楽しんでいるからこそのものである。幼い頃から彼と過ごしているヴィルヘルムが、隠そうともしていないこの老人の本心を察しないはずもなく、心底嫌そうにコバルトブルーが老人を鋭く睨んだが、「……あの、」と、躊躇いがちに響いた声に、執事への反論は叶わなかった。

「それでしたら…………一つ、我儘を言っても……?」
「……何です?」

 頼みごととは珍しい。そう思いはしたものの、ヴィルヘルムには特別断る理由もなかった。……不満を覚えて屋敷を出て行く選択が少女に浮かぶ方が厄介なのだ。不利益にならない程度であれば、希望を叶えるつもりで彼は問いかける。

 彼女はこちらも珍しく言い難そうに視線を足元に落としていたが、やがて決心を固めたのだろう。胸の前で両手を組むと、食い入る様な瞳でもって、ヴィルヘルムとセバスチャンの姿を見上げた。

「……私…………ヴィルヘルム様の肖像画が欲しいの……」

 ……が。告げられた内容は予想もしないものであり、ヴィルヘルムは僅かに目を見開いた。それを別の理由として認識したのだろう。済まなそうにしながらも、エリーザベトは切実な眼差しはそのままに、一歩ヴィルヘルムとの距離を詰めた。

「ヴィルヘルム様がお忙しいのは分かっているから、会いに来て下さらなくても不満はないの。……でも、旦那様のお顔を全く存じ上げないのも少し寂しいわ。……そうでしょう? だから、一度だけ、ヴィルヘルム様に、そう伝えては下さらないかしら……」

 エリーザベトが尋ねたきり、部屋には沈黙が訪れた。……セバスチャンが独断で答えを返せるはずもなく、ちらと主人の顔を見れば、やはり難しい顔をしている。当然だ。肖像画に嘘を描けるはずもない。別人の姿を夫として伝え騙すことは容易だろうが、それはヴィルヘルムの本意とは異なっている。

「……駄目かしら……?」

 一向に返されない答えを否定と受け取ったのだろう。久しく見ない程気落ちしたような少女の様子に、ヴィルヘルムは僅かに眉根を寄せた。幾度か彼は唇を開きかけたものの、結局何か上手い言葉を思い浮かぶことはない。……残念ながら、仕事の部分を抜いてしまえば、彼は間違いなく口下手の部類に属する男である。それを察したのだろう。一度目を伏せた老人は、やがて笑みを浮かべると、少女の前に進み出た。見上げてくる濃い青色の大きな瞳に笑いかけ、老人はそっと腰を折って目線を合わせる。

「……残念ながら、旦那様はご自分の外見をあまり人に見せたくないようなのです」
「そうなの……?」
「はい」

 諭すように穏やかな口調で語ってはいるものの、表情や、トーン、纏う雰囲気が相まって、強制しているわけではないのに、何故か反論しようという気を起こさせない何かがそこには存在していた。自然に納得させられる、とでも言えば良いのだろうか。威圧することで異を唱えることを許さないヴィルヘルムとはある意味対局となるものが込められているのを、傍から見ているヴィルヘルムでも確かに見て取ることができた。

 普段はいくらおどけた態度をとってはいても、このような時は主人のフォローをしてみせるのは、長年ヴィンチェンツォ家に仕えているからこそなのか。……そんなことをちらと思ったヴィルヘルムは、しかし、すぐにそれを撤回することになる。にっこりと笑ったセバスチャンは、内緒話でもするかのように声を潜め、説明を続けた。……それはざっとこんな具合だ。

「何せ、怖くて怖くてそれはもう悪魔も裸足で逃げ出すであろう恐怖の権化の伯爵様と呼ばれるお方はヴィルヘルム様以外にはおりますまいと屋敷に仕える者全員が断言できる程でして。容姿はさながら野生に生きる餓えた狼、中身に至っては熊も恐怖で卒倒しかねない猛獣ぶりが纏う空気や目付きにもまざまざと現れている程なのです」
「まあ」
「……おい」

 驚いているのか目を丸くしているエリーザベトは恐怖心を抱いているのか否かの判断に迷うところではあったのだが、流石に未来の夫として許容できる範囲は超えているだろう。ヴィルヘルムとて恐れられている自覚が確かにあったが、そこまで誇張されては流石に異論の一つも挟みたくなるというものである。思わず低い声でツッコんではみたが、どうやら二人の耳には残念ながら……ただし老人の方の耳には都合良く……それは届かなかったらしい。

「とても恐ろしいのね……?」
「ええ、それはもうどの位かと言いますと……」

 酷く慎重に確認を取るエリーザベトに、やけに神妙なお面持ちで切り出したかと思えば、セバスチャンは不意にぽんとヴィルヘルムの肩に手を載せ。

「――このぐらい恐ろしい容姿をしておりますよ。ねえ坊っちゃん?」
「……!? ばっ……!」

 まさかの爆弾を落としてきたセバスチャンに、さしものヴィルヘルムも慌ててエリーザベトを振り返る。ぽかんとした表情のまま、二人を見上げている少女。聡ければ、或いは想像力がある者ならば、容易く導き出せるだろう事実に思わず声を荒げかけたヴィルヘルムは、口を噤むと少女の反応を窺った。彼の内心の焦りとは裏腹に、しばらく少女は驚いた顔で二人の男を見詰めていたが、やがてその表情に変化が訪れる。……それは、酷く明るく破顔するというものだった。

「セバスチャンったら面白いのね!」両手で口許を隠しつつ、くすくすと楽しげに笑う彼女は、やがて優しげに双眸を細めた。「――お孫さんのセバスチャンは全然怖くなんてないわ」
「おやおや、そうですか? 結構怖い顔をしていると思うのですが。ねぇ坊っちゃん?」

 からかい交じりにヴィルヘルムへとセバスチャンが視線を向けたのは分かったが、残念ながら当の本人であるヴィルヘルムは、すぐに否定して返した少女の反応の方に面食らっていた為に、返答することはできなかった。

 この少女は、一体何と言っただろう? 全く怖いことはない? ……それはヴィルヘルムにとって家督を継ぐ以前より向けられてきた視線とは相反する内容で、俄には信じがたかった。

「いいえ、大丈夫よ。目は確かに鋭いし、余り笑わないけれど」そう発言している辺り、現実をきちんと認識してはいるのだろう。……そう、ヴィルヘルムは自身のことながら考えた。それでも彼女が堂々と述べる意見は、一向に変わることはなく。「私はちっとも怖くはないわ。むしろ好きよ」
「それはそれは。良かったですねぇ坊っちゃん」

 にこにこと微笑ましいと言わんばかりの表情でもって含んだ物言いをする老人に反論したいのは山々だったが、どうにも今の彼にはそれができそうになかった。

 今のヴィルヘルムは、あくまで執事として振る舞っているのだ。当主の妻……実際は正式な手続きが完了してはいないものの、いずれはそうなると確信している少女……よりも、当然立場は下となる。無礼に当たる発言など、この場でできるはずもなかった。……というのは、あくまで建前上の理由であって、少女の言葉にどう反応すれば良いのか……より詳しく述べるとすれば、自身がそれを一体どう感じたのか、感情の名すら、思い浮かぶことはなかったというのが真の理由になるのだろう。

「……………………恐縮です」

 ぼそりと返した短い言葉は、ともすれば不満とも受け取られかねないものであったが、その応えが決して負の感情を纏うものではないことを、少女の方ではしっかりと察したのだろう。浮かんでいる花の咲いたような笑顔が曇ってしまうことはなく。

「肖像画は無理かと思われますが、そのときは代わりに私がヴィルヘルム様に似た動物の縫いぐるみをお持ち致しましょう。それをヴィルヘルム様と思って可愛がってあげて下さいませ」
「ええ、分かったわ!」
「………………おい」

 よりにもよって動物の縫いぐるみで代用するとは一体どういうことなのか。どさくさに紛れて妙な約束を取り付けたセバスチャンに今度こそ異論を唱えようとはしたものの、少なからず夫の面影を感じさせる品が手に入るという事実が嬉しかったのだろう。嬉しげな様子が隠しきれないエリーザベトに、結局ヴィルヘルムが折れるしかなくなったのだった。

* * * * *

「セバスチャン。ヴィルヘルム様はウサギに似ていらっしゃるの?」
「…………違うと思われます」

 恐らくは本気で尋ねているのだろうエリーザベトに苦さの混じる声音でもってヴィルヘルムは重く返した。別段彼女に苛立っているというわけではない。何時の間にやら彼女に約束の品を……それも何故か熊やら狼やらではなく、酷く愛くるしいウサギの縫いぐるみを……わざわざ選んで贈っていた人物に対して言いたいことが百万語程浮かんできているだけだった。ホッホッホ、という呑気とも面白がっているとも取れる……実際、それらを多分に含んでいるのだろう……朗らかな笑い声が脳内に響き渡った気がしたのは、彼の気のせいか、否か。

「そう……?」

 不思議そうに首を傾げると、エリーザベトは顔の前へと改めてウサギの縫いぐるみを掲げつつ、その青い瞳でまじまじと見つめた。……コバルトブルーの双眸に、黒色の毛で作られている人形。それは丁度、彼女のすぐ傍にいる青年のものと同じ色合いをしていたが、生憎と彼女はその事実に気付く様子は微塵もない。

「寂しがり屋な方ということなのかしら……」

 単なる老人の冗談に踊らされている彼女に対し、必死で否定したい気持ちはあるというのに、正体を伏せている以上、説得力には欠けるだろうという自覚もあり。複雑な心境ではあるものの、それでもウサギの縫いぐるみを大事そうに抱えている彼女を目にしてしまえば、口に出すことは躊躇われるというもので。にこにこと笑顔を浮かべている彼女を眺め、彼は小さく溜息を吐くと、ほんの僅か、眩しげに瞳を細めたのだった。



 その縫いぐるみにヴィルヘルムの名をそのまま付けようとした彼女に、そればかりは止めるようにと彼が説得してかかるのは、その数分後のことである。




2017/01/31 ヴィル様、お誕生日おめでとうございます!

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